会社概要    沿革  


イースタン電子工業は、新藤電子工業の孔明け社内外注部門として社長の桐田他4名で昭和54年にスタート、昭和56年に新藤電子工業より独立し、イースタン電子工業株式会社を和名ヶ谷に設立いたしました。
設立当初は新藤電子工業より機械を借り受け、外注先として仕事をしておりましたが、その後、新藤電子工業はリジット基板から撤退いたしました。そこで、当時の服部セイコーの基板孔明けの受注を皮切りに、現在の客先へと受注拡大を計って参りました。

当初は(加工設備)2台からのスタートでしたが、受注拡大とともに生産台数を増やし、昭和56年に新台3台を導入したことを契機に、現所在地の松戸市河原塚に移転しました。昭和58年にはインベーダーゲームの大流行に伴い爆発的に受注があり、その後も着々と事業を拡大して参りました。
昭和62年客先(旧東和工業)の要望により、福島県須賀川市横山町に工場進出を行い、A社家庭用ビデオゲーム機向け孔明けの受注、また平成4年にB社家庭用ゲーム機が流行した際も、孔明けを受注。平成7年B社家庭用ゲーム機の後継機の孔明けを受注。平成10年のB社後継機発売、平成13年C社家庭用テレビゲーム機発売の際も孔明けを受注しました。
ゲーム機以外には携帯電話の生産受注もありました。顧客の要望で茨城県ひたちなかに工場(社内工場)進出をし、携帯電話のビルドアップ基板の孔明けをスタートしましたが、平成15年に、顧客の諸事情で茨城工場の撤退を余儀なくされ、平成18年2月より一般孔明けに移行するも、6月末で一般基板からも完全撤退しました。その後、松戸工場を改築リニューアルし、新生イースタン電子工業として、極小径・高精度の電子パッケージ基板孔明けに特化し、現在に至っております。

イースタン電子工業は、お客さまのニーズにお応えするため、またより高い品質の製品作りを目指して、最新鋭の設備導入をいち早く行っております。さらに、従来より培ってきたノウハウをもとに、環境面においても全工場温湿度管理を徹底し、安定した高精度製品作りに取り組んでおり、これからも孔明け加工のプロとしてさらに躍進してまいります。